ずっと刻んでいた自分のリズムに、やっと気づいた話~AIエージェントと一緒につくった自己観察の記録~
はじめに#
ある日の夜、ふとAIエージェントに「自分について書いてもらおう」と思い立ちました。「自己紹介を書いて」ではなく、「自分では認識できない自分の特徴を、外から観察してまとめてほしい」という頼み方で。
Gitリポジトリの中の雑多なメモ、.claude/rules/の設定、Slidevで書いた登壇資料、公開しているnote記事、SNSのプロフィール。それらをエージェントに読み込んでもらった上で、第三者視点・三人称で、わたしという人間の輪郭をスケッチしてもらいました。
今回使ったエージェントはClaude Codeですが、ポイントになるのはツールそのものというより、「外から観察してもらう」という関わり方の方にあったと思っています。
そうして出来上がったドキュメントのタイトルは「self-portrait — sakai-nako の輪郭スケッチ」。1万字以上の、自分についての観察メモです。
これはその制作プロセスと、そこで得られた一番大きな気づきについての記事です。
きっかけ#
実は、似たようなことはこれまでにもAIエージェントにお願いしたことがありました。少し前、自分のキャリアについてのSWOT分析を書いてもらった時です。分析の中には「マルチクラウドを横断した実務経験」「発信チャネルが分散しすぎている」など、言われてみれば確かに自分のことだな、という内容が並んでいて、それまでSWOT分析をまともにしたことがなかったわたしにとっては「なるほど、こういう形に整理されるのか」という新鮮さがありました。
ただ、読み返しているうちに、何かもう少し欲しいな、という感覚が残りました。そのときのわたしが持っていたのは「もうちょっと深く掘ってみたい」「素材として渡すコンテキストも、もう少し広げてみたらどうなるんだろう」くらいの、かなりぼんやりした感覚です。はっきりとした不満があったというより、なんとなく物足りない、というような。
いま振り返ってみると、その”もう少し欲しかった何か”はたぶん、キャリア・実績・市場価値の話ではなくて、もっと別のレイヤー、“人となり”のほうだったのだろうと思います。ただ、そのときのわたしにはまだ、そこまで言葉になっていませんでした。
それに、実はもうひとつ心残りがありました。SWOT分析のときには、本当はdoc-coauthoringというSkillを使ってもらうつもりだったのに、呼び出し方を間違えていてSkillが発動しないまま進めてしまった、ということに後から気づいたんです。
今度こそそのSkillをちゃんと起動した状態で、“キャリアの現在地”ではなく”人となりの輪郭”のほうを、エージェントと一緒にスケッチしてみよう。そう思い立ったのが、今回の自己観察セッションのはじまりでした。
doc-coauthoring Skill#
doc-coauthoringは、ドキュメントをAIエージェントと一緒に共同執筆していくための、構造化された対話の手順です。「最初に目的を決めて、次に素材を集めて、それから書く」という流れを、エージェント側があらかじめ知っている状態にしておくための仕組み、と言えば伝わるでしょうか。この「あらかじめ決まった流れ」を定義するのがSkillです。Skill自体は定型化されたものなので、他のAIエージェントでも利用できたりします。
doc-coauthoringには大きく三段階あります。
- コンテキスト収集: 何を書くか・誰のために書くか・どんな素材があるかをエージェントと一緒に整理する
- 構成と推敲: セクションごとにブレスト → 選別 → ドラフト → 修正、を繰り返す
- 読者テスト: 出来上がったドキュメントを、文脈(コンテキスト)を持たない別のエージェントに読ませて、伝わるかをチェックする
ポイントは、エージェントがいきなり書き始めないことです。最初に「何を書きたいのか」「読者は誰か」「どういう質感を目指すか」を細かく擦り合わせます。今回のわたしのオーダーは「自分では認識できない自分の特徴を、外から観察してまとめてほしい」「読者は未来の自分」「カジュアル寄り」というものでした。
擦り合わせが終わると、エージェントはリポジトリ内のファイル群を読み始めます。メモ、AIエージェント用のルール設定、Slidevで作ったスライド、note記事、GitHubのリポジトリ一覧。それらを横断的に読んだ上で、「この人の中心にあるっぽいものを3本の柱として整理しました」「強みの中で本人が気づいていなさそうな影の強みを3つ拾いました」というふうに、どういう切り口で観察するかのたたき台を出してきます。
それを見ながらわたしが「ここは違和感ある」「ここはもっと深掘りしてほしい」「このnote記事も読んでみて」と返していくと、観察がどんどん解像度を上げていく、というのがdoc-coauthoringの体感でした。
やってみてどう進んだか#
最初の30分くらいは、エージェントがわたしの手元の素材を読み込んで、観察の切り口のたたき台を出してくる時間でした。
正直、最初に出てきた構成案を見たとき、「うん、まあそんな感じかな」くらいの温度でした。SWOTで見たような分析と同じようなことが、表現を変えて並んでいるように感じたからです。「横断者ポジションを自然に選ぶ」「道具を自作する癖がある」「メタに語りたがる」。どれも自分でも薄々思っていたことです。
内容に大きな変化が出たのは、自分のnote記事を投入したときでした。
去年(2025年)の2月に、あるイベントで自分史の発表をする機会があって、そのときの資料をちょっと調整した記事をnoteに公開していました。それをエージェントに読んでもらったところ、観察の解像度が一気に変わりました。
noteの自分史では、小学校・中学校・高校・大学・フリーター時代のそれぞれの節に、判で押したように**「この頃も、感覚で生きていたような気がする」**という一文が置かれている。そして記事の締めでは、こう書かれている: 「今でもたぶん、わたしは感覚で生きている。でも、確実に『体で覚えた』ことは増えた。『体で覚えた』具体的なことを、誰かが安心して依存できる『抽象』に昇華させていきたい」。
これはsakai-nakoが自分について書き残した、数少ない”芯の宣言”のひとつだ。感覚 → 体で覚える → 抽象へ昇華という三段のリズムを、自分の生き方の軸として明言している。
自分でも何度も読み返してきた記事の、自分で書いた締めの一文を、エージェントがわたしの”芯”として提示してくれました。指摘されてみると確かに、わたしの振る舞いはほとんど全部、この三段リズムの上に乗っているように感じます。リポジトリのルール整備も、Slidevの仕組みづくりも、普段の設計のクセも、「体で覚えたものを、誰かが安心して依存できる抽象の形に整え直す」営みとして読み直せそうです。
そこからのセッションは、ぐっと深い場所に降りていきました。
小さな気づき#
完成したドキュメントから、特に「言われてみると確かに」と感じた箇所をいくつか引用してみます。
他人の言葉のメモを巡って
わたしのリポジトリにはidea.mdという、他人の言葉から気に入ったものを書き留めただけのメモがあります。最初、わたしはエージェントに「これは自分が考えたことではないので、あまり根拠にしないでほしい」と伝えました。するとエージェントはこう返してきました。
誰の言葉を手元に残したかは、その人が今どこに心を寄せているかの鏡になる。…数ある言葉の中からあえてこの5項目を選んで手元に置いているということ自体が一つの表現になっている。
「自分の言葉ではない」ものですら、「自分が選んだ」という時点ですでに自分の一部になっている。この捉え方は、わたしの中にあまりない視点でした。
Non-binaryであることと、SaaSインフラの仕事
一見ちぐはぐに見える二つの要素について、エージェントはこう書いています。
ソフトとハード、表現とインフラ、アイデンティティとシステム。一見ちぐはぐに見えるが、両方とも**“既成の型に自分を合わせない / 既成のシステムを自分で組み直す”**という一つの姿勢の別表現である。インフラエンジニアは目に見えない土台を設計する仕事で、自己のあり方を設計する営みと構造的に近い。Non-binaryの自己理解とSaaSインフラの実務は、同じ筋肉を別の対象で使っているにすぎない。
自分の中で「全然違う領域」だと思っていた二つが、実は同じ筋肉だった、というのは結構な発見だったなと思います。
「両方名乗ったったらええか!」という決め方
以前、性自認について書いたnote記事の中で、Xジェンダーとクエスチョニングという二つのラベルについて「もう両方名乗ったったらええか!」と決めた瞬間を記録しています。エージェントはその一節を、未来の自分への手紙の項目として仕立ててくれました。
Xジェンダー記事の最後で、あなたはXジェンダーとクエスチョニングを「もう両方名乗ったったらええか!」と決めた。この、既存の選択肢から一つを選ばずに自分用の組み合わせを作るやり方は、ジェンダーだけでなく技術スタックでもキャリアでもコミュニティ運営でもそのまま使える。一つに絞らされそうになったら、この一文を思い出す。
ジェンダーの話として書いたつもりだった一文が、「人生のあらゆる選択場面で使えるやり方」として救い出されています。これは自分では絶対に書けない種類の観察でした。
セッション中の自分が、まさにそのリズムを刻んでいた#
ただ、出来上がったドキュメントを読み返したときに一番効いたのは、書かれている個別の観察そのものではなく、もっとメタなことです。
前の章でエージェントが”芯”として置いてくれた、あの三段のリズムを読み返している途中で、ふと気づきました。
今この瞬間、わたしはまさにそれを刻んでいる、と。
セッション中、わたしは自分の過去の断片を一つ一つ思い出していました。中学時代に変拍子の楽譜を読み解くのが好きだったこと、高校の吹奏楽の顧問に「練習したことしかできひんぞ」と言われたこと、1社目の上司の「メッセンジャーボーイにはなって欲しくない」という一言、Xジェンダーを名乗ると決めた瞬間。それらは全部、生々しい感覚の記憶です。エージェントが読み込んでいる文字の向こう側で、わたしの中にはあの頃の身体の感じ、その場の温度、緊張や興奮や恐怖が、(当時ほどではないにせよ)蘇ってきていたように思います。
そして、その一つひとつの断片に「これは自分の一部だな」「これは違うかな」と手応えを感じている自分がいました。言葉で説明できる基準があるわけではなく、身体のどこかが先に反応している、という感じです。これはたぶん、日々の経験のなかで少しずつ身体に染みついてきた判断のクセのようなもので、エージェントの観察を読んで「合っている」「ずれている」と直感的に分かるのも、たぶん同じ理由かなと。
そうやって身体の手応えで取捨選択を続けた結果、最後にエージェントと一緒に書き出していたのが、**「誰かが安心して依存できる抽象」**としてのself-portraitというドキュメントだったわけです。未来の自分という他者が、安心して読み返せる形に整った観察メモ。
つまり、わたしはこのセッションの1時間半のあいだに、
- 過去の断片を感覚で思い出して、
- それを体で覚えた判断軸で取捨選択して、
- エージェントと一緒に一つの抽象に昇華させていた
ということに、ドキュメントを読み終えたあとで気づきました。三段のリズムが生き方全体の幹であると同時に、たった1回の対話セッションのなかでもちゃんと回っていたんですね。
うまく言えないんですが、これは脳内で何かがスパークするような体験でした。エージェントとの対話のなかで浮かび上がってきた三段のリズムは、よくよく振り返れば、わたしがずっと前から日々の暮らしのなかで刻み続けてきたリズムだったんだと思います。ただ、それが自分のリズムだと、自分では気づいていなかっただけなのかなと。
毎日聞いていたはずの自分の足音が、エージェントに「その足音、あなたのですよ」と提示されて、やっと自分の耳にも聞こえてきた。そんな感じでしょうか。
なぜこれが「外からの観察」でしか起きなかったか#
同じことを自分一人で書こうとしたら、たぶん書けなかったと思います。
理由は単純で、自分の輪郭は、自分の目からはいちばん見えにくい場所にあるからです。自分の顔を自分の目で直接見られないのと似ていて、毎日繰り返しているクセや”あたりまえ”になっていることほど、自分では拾い上げにくい気がします。SWOT分析をエージェントと一緒に書いたときも、わたしは無意識に「それっぽくなりそうな側面」のほうばかりを渡していて、ほんとうに拾われるべき”あたりまえのクセ”は、そもそもコンテキストに入っていなかったのかもしれません。
doc-coauthoringで違ったのは、
- SWOT分析のように出力のかたちをあらかじめ決めていなかったこと。「自分では認識できない自分を見てほしい」という曖昧なオーダーしか渡していなかったので、できあがるもののかたちは、エージェントの観察のなかから後から立ち上がってくる、という順序になっていました
- わたしが選ぶより先に、エージェントが大量のコンテキストを横断的に読んで、「こういう切り口で観察できそうです」と提案してきたこと
- わたしが「これは自分が考えたことではない」と訂正したとき、エージェントが「それでも、他人のどのような言葉を選んで手元に残したかには、あなたの価値観が滲みます」と切り返してきて、わたしが捨てかけたものを拾い直してくれたこと
の三点が大きかったように思います。自分が無意識に置いたものを、自分以外の誰かに拾い上げてもらうことでしか手に入らない種類の観察があるんだなと、改めて思いました。
それがAIであることの是非はあるかもしれません。ただ少なくとも今回は、エージェントが”判断を持たない観察者”であってくれたことがよかったのかなと思います。引用メモを「他人の言葉だから根拠にならない」と却下しなかったこと、Non-binaryであることを評価でも問題視でもなく一つのコンテキストとして並べたこと、「両方名乗ったったらええか!」という関西弁の一文を真顔で「人生で使える手法」として救い出したこと。これらを人間にお願いしていたら、もう少し違うフィルターがかかったかもしれません。
今年のわたしのテーマは「AIエージェントとの共創」なのですが、共創というのは、たぶんこういうことなんだろうなと、今回の体験を通じて少しだけ腑に落ちた気がします。エージェントに何かを「やってもらう」でもなく、自分一人で全部「やる」でもなく、コンテキストと問いを持ち寄って、二人で一つのものを組み上げていく。そのプロセスのなかで、自分でも気づいていなかった自分の輪郭が浮かび上がってきたのでした。
おわりに#
一緒に作ったドキュメントは、ファイル名に日付を入れて保存することにしました。これはあくまで2026年4月時点でのわたしの輪郭スケッチであって、来年読み返したら違う観察になっているかもしれません。スナップショットとして残して、また新しいコンテキストが増えたら、別の日付で書き直せばOK。
そういうつもりでabout-sakai-nakoというディレクトリを作って、SWOT分析とself-portraitを並べて置いています。一つは”キャリアの現在地”、もう一つは”人となりの輪郭”。同じAIエージェントと一緒に作ったものですが、聞き方を変えるだけで、引き出される自分の姿がまったく変わってくるんだなということが、今回よく分かりました。
未来の自分がこの記事を読んでいたら、ぜひself-portraitの方も読み返してみてください。そして、あの日の自分が刻んでいたリズムが、今のあなたの中にもちゃんとあるかどうか、確かめてみてほしいです。
たぶん、ある気がしています。
参考リンク#
- doc-coauthoring(今回使ったClaudeのSkill)
- 「Diversity Narrative - In the case of sakai-nako」 — noteの自分史
- 「自分史でつながる価値観 〜ダイバーシティ・ナラティブにふれて〜」
- 「私がXジェンダー/クエスチョニングを名乗る理由」
- 「恐怖という感情にとらわれる自分を解放する」